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昭和60年の同時期にワイド周遊券使って九州から北海道に行きました。この時代は青春18きっぷでも乗船できましたね。せっかくですのでグリーン席を使いました。高校生の分際で贅沢をしてました。親父がポンと5万円の餞別をくれて当初の計画よりラクな旅ができました。写真は撮ってましたが、実家が地震被災でネガが散逸しました。懐かしい風景が動画で見れて感謝です。
ありがとうございます。高校生だった昭和53年に九州ワイド周遊券で九州に行きました。東海道、山陽本線には急行が走っていないので東京から大垣行き夜行でスタートし新快速と鈍行で門司港まで行き、あとは夜行の日南、かいもん、ながさきを使って九州を廻りました。行きは節約したので帰りはブルートレインで帰ってきました。
当時は、青森〜函館が約4時間。今は、東京〜新函館北斗が約4時間。隔世の感ありですね。海峡ラーメンと、紅鮭弁当が食べたい!
ありがとうございます。海峡ラーメン美味しかったですね。海峡ラーメンを食べるとこれから北海道へ行くぞ感がMAXになりテンションあがりました。
私もこの年の8月に函館から大雪丸に乗船しました。祖父と一緒に旭川~札幌までライラック、函館までは臨時急行すずらん、夜景を観るため駅前旅館に宿泊して翌日乗船、青森から臨時急行八甲田で上野にと初めての長旅が甦りました。
ありがとうございます。私とピッタリ逆コースですね。(八甲田、連絡船、すずらん)長時間でしたけど楽しくて全然飽きませんでした。
この窓際にあるプラ容器のお茶懐かしいなあ
ありがとうございます。昔は列車に乗ったらこのお茶と冷凍みかんでしたよね。
当時仕事で毎月のように連絡船に乗ってました。懐かしい思い出です。当時はなんの変哲もなく当たり前の景色でしたが今となっては懐かしい光景ですね。日常のひとときを記録に残すって大切ですね。
ありがとうございます。連絡船待合室など独特な雰囲気がありましたね。待合室も撮っておけばよかったなと思います。
@@azaz31415 そういえばその待合室に座っていた老婆が連絡船だと勘違いしており、何時に函館かと聞かれたというネタをどこかで見たような…。
@@秋津のOB 連絡船の待合室は独特な雰囲気がありましたね。道内の夜行列車に備えて売店で空気まくらを度々買いました。
素晴らしい動画をお見せいただきありがとうございます。感謝申し上げます。
どうもありがとうございます。北海道へ行きの青函連絡船はとてもワクワクして楽しかったですが帰りは落ち込み感があり楽しくなかったですね。
@@azaz31415 様 返信していただきありがとうございます。とても嬉しいです。実は私の父が国鉄四国総局の職員だったのですが、宇高連絡船(香川県の高松市と岡山県の宇野市を結ぶ)の航海士をしていました。所要時間は1時間と青函連絡船の所要時間の4分の1ぐらいです。現在は瀬戸大橋が出来て、瀬戸大橋線という鉄道が香川と岡山を結んでいます。(強風が吹けばすぐに止まるのが難点なのですが)連絡船で移動するというのは、風情があってよかったと思っているところです。ありがとうございました。
貴重な映像です!当時は7歳でした、地元の昔の映像を綺麗に見られて嬉しいです。 親戚を見送った後、親父と駅ホームの立ち食い蕎麦屋で食べたのが懐かしい。
ありがとうございます。ホームの立ち食い蕎麦屋も少なくなり寂しいです。昔は車内持込み容器とかありましたね。
未だに青森駅の5・6番線ホームには「連絡船」の案内がうっすらと残ってます
今52歳ですが、この動画の当時は高校生でした。駅に直結したフェリー、1度でもいいから乗ってみたかったです~。
保存されている連絡船が駅から直結した状態で保存して欲しかったですんね。
この年は、8月に大雪丸に乗船しました。学生の夏休み期間=お盆時期の積み残しが怖く、高校生ながらグリーン指定の座席を利用してました。グリーン座敷もあったようですが、座席のリクライニングが快適でした。シャワールームもグリーン客専用があり、こちらはきれいでした。
幼い頃何度か乗船しました。季節がずれるけど石川さゆりさんのあの名曲が思い浮かびます。
ありがとうございます。いいですよね。♪上野発の夜行列車。夜行列車も連絡船も無くなって寂しいですね。
自分が大人になった頃には既に青函連絡船は無く、それでも当時の雰囲気を少しでも味わいたいと思い、わざわざ夜行バスと津軽海峡フェリーを使って、来道しました。いつの時代でも、船旅は旅情を誘いますね。
ありがとうございます。船で渡道するとわくわくしますね。但し、帰りがとても悲しかったです。
急行八甲田、大雪丸。何もかも懐かしい… 貴重な映像をありがとうこざいました。因みに冒頭のポリ容器のお茶ですが、現在も伊東駅では現役です。名物ぐり茶を購入できます。駅ではないですが京都鉄道博物館でも販売していますね。
@@LatimeriaDec ありがとうございます。国鉄時代、お茶と冷凍みかんは必須アイテムでした。
@@azaz31415 さま昭和は遠くになりましたね… しかしながら熱海駅ではまだ冷凍みかんは販売されています。伊東線に乗ればお茶もみかんも令和の時代でも楽しめますよ。
85年当時、もう貨物専用船は空知丸を残すだけでしたね。僚船の石狩丸・桧山丸は普通船室のみの客貨船に改造され、100番台の便名で就航していたと記憶しています。私もこの翌月摩周丸で初めて函館に渡りましたが、船内のテレビで日航機事故の生存者救出のニュースを見ていました。その翌日、甲子園ではPL学園が東海大山形を相手に29対7という一方的な試合を展開し、仕舞いには投手でない清原までマウンドに立たせたことで物議を醸しました。そんな時代でした。
ありがとうございます。客貨改造船に乗ると設備が少なく寂しかったですね。
私も修学旅行で摩周丸に乗った記憶が甦りました。本当は小学六年生のときも行くはずでした。その時3日はしかにかかった事が思い出しました。
ありがとうございます。青函連絡船に乗るとこれから北海道へ行くんだというわくわく感でいっぱいでした。
プラ容器のお茶!懐かしいです。お茶の香りより、プラスチックの匂いしてましたね😂
当時はあまり気にせず飲んでいましたが現在だと指摘されそうですね。
青森から函館に帰る時に乗った船は、いつも決まって大雪丸だった思い出があります。排気マストの先が黒いので、貨物船は空知丸なのは間違いないです。
ありがとうございます。自分も大雪丸が一番多かった様な気がします。
確か夏場で波が穏やかな日だと、下北半島の仏ヶ浦を見えるよう、航路を半島寄りに変更していたようですね。それと檜山丸空知丸は元々貨物専用船でしたが、大雪丸が使用年限切れで廃船になり船舶が不足しましたが、青函トンネル開通が見えてたので新造せず、この2槽は客貨船に改造されて運用されてました。但し普通席のみでグリーン、食堂は無くただ客を運ぶだけのようでした。
ありがとうございます。深夜便に乗ると改造船に当たることが多かった気がします。船内は寂しかったですね。
空知丸は終航するまで貨物船でしたよ改造貨客船だったのは石狩丸と檜山丸です
@@kenta-z3e ありがとうございます。
昔からよく車内放送なんかを録りまくっていて、当時の出港シーンの音声だけは残していますが、映像を保存されているのは羨ましいです。急行八甲田→青函連絡船、北海道ワイド周遊券利用者の鉄板ですね。西日本在住の私は、よく特急白鳥→青函連絡船1便のようなパターンで津軽海峡を定宿にしていました。
ありがとうございます。白鳥は羨ましいですね。こちらは似たようなパターンでは上野から上越線経由の特急鳥海を利用しました。食堂車での昼食が楽しみでした。
北海道へ行く時周遊券で何回も乗船したから3時間50分が懐かしいよ
ありがとうございます。北海道ワイドと3時間50分いいですね。シャワーに並ぶのも恒例でした。
青森県津軽地方の小学校の修学旅行は大体は函館だったので、青函連絡船は、青森⇔函館の移動手段でしたね。1987年度時点で小学6年生(2022年12月31日時点で47歳)だった人までは、修学旅行で青函連絡船に乗った事があります。
私はこの翌年、高校を卒業した年に初めて北海道へ行った際に初めて青函航路に乗りました。ただ大阪からの白鳥だったので景色は真っ暗で正直覚えていませんけど。
ありがとうございます。大阪から白鳥で北海道入りって羨ましいですね。東京に住んでいる私にとって大阪~北海道はとても魅力でトワイライトエクスプレス廃止1ヶ月前に初めて大阪から札幌まで乗車して感動しました。(いつもは直江津~札幌でしたので)
船内自動販売機のファンタは太缶でした。青森は細い缶しか売っていなかったので太缶ファンタ見ると、既に北海道に来た気分になってました。
ありがとうございます。そうでしたね。自分も珍しいので空缶を持ち帰った思い出があります。
今は本州も太缶っすね😉
その頃は何故か北海道コカコーラボトリングが製造していたのは本州とは違い太缶でした。道民が本州で細缶のコーラを見ると旅行している実感がありました。
懐かしい映像をありがとうございます。1985年、日航機事故や猛虎フィバーの年でしたね、私は高校2年生でした。青森駅のホームを歩く人々の姿も、今だったらキャリーバックをひき、歩きスマホに夢中でしょうか。
携帯、ネット、スマホの無い時代で今思うとよく情報を入手していたなと思います。現在、携帯、スマホ不可だったら動けないですね。
この青森桟橋迄が北海道側の青函船舶鉄道管理局の所管で、本州側の盛岡鉄道管理局との境界となっていました。青森桟橋長は青函連絡船の船長の指定ポスト。貨車の積み込みや航迭設備、港の管理は青森船舶施設区(青函局)が担当。連絡船は本社所属(後に青函局海務部所属)で、乗組員は函館船員区の所属でした。四国総局の宇高連絡船へ異動になる船員もいました。※×航迭→○航送
懐かしい~ですね✨自分も上野から夜行急行八甲田を利用して青函連絡船に良く乗り継いでました。北海道へ渡るのなら🚢でと思い去年10月~11月に掛けて久々に第二の故郷になった北海道へ往復🚢で渡りました。乗船している時に青函連絡船の記憶が甦って船室から波間をジーっと見つめてました。もう一度🚢青函連絡船に乗りたかったですね✨
ありがとうございます。北海道に行く時に青函連絡船に乗るといよいよ北海道に入るんだなぁとわくわくしましたが、帰りに函館から乗ると楽しかった北海道とお別れ感が強まり寂しく感じました。
私は「ゆうずる」に乗り青森から「大雪丸」にのり初めては北海道に渡りました。当時ビデオは高価で8ミリムービーで撮りました。懐かしい映像ありがとうございました。
ありがとうございます。寝台特急ゆうづる羨ましいですね。私はワイド周遊券のみで乗れる夜行急行の自由席ばかりでした。
@@azaz31415 急行の自由席だと連絡船まで遠かったですね。やっと乗船した出来た時には座席は何時も無かった。深夜便は特にね。自分は関西なんで急行『きたぐに』か急行『しらゆき』の自由席でした。働きだしてやっと『日本海』でした。
@@sawaaicb 青森発着のしらゆき、きたぐに懐かしいですね。しらゆきは金沢ー青森の長距離日本一のDC急行でしたね。母の実家が三条で信越本線の線路際なので帰省した時は東京では見られない列車を一日中眺めていました。
@@azaz31415 北海道周遊券の日数を稼ぐ為に京都駅で急行『立山3号』0時02分発金沢で5時間時間を潰して急行『しらゆき』の乗ってました。車内はガラガラで独占状態でしたけど、車内販売のおねいさんと目を合わせるのが辛かったです。自分語りばかりしてすみません。懐かしさの余り、つい話したくなってしまうもので・・・。
@@sawaaicb 全然です。楽しいお話ありがとうございます。お話を肴に一杯飲めますな。
1度乗って見たかったなあ。
連絡船だと北海道に入るぞ感がすごくありました。
発着岸壁や船型は全く違いますが津軽海峡フェリーまたは青函フェリー利用で、津軽海峡を往く風情を偲ぶのが現実的な手かと思います。
青函トンネル開通後は快速海峡などを使ってましたが北海道新幹線開通で結局船利用に戻りました
ありがとうございます。私も新幹線開通前は在来線で蟹田ー木古内は特急券不要の白鳥を使って青森ー函館を往復しました。本数は激減しましたが奥津軽いまべつー木古内は特急料金不要か新青森ー函館北斗は特定区間として安い特急料金にして欲しかったですね。
北海道新幹線開業で、特に「青春18きっぷ」を利用して、本州⇔北海道間を移動する人には、不便になったでしょうね。まず、津軽線津軽二股駅⇔新幹線奥津軽いまべつ駅の乗り換えが不便の上、新幹線利用時には「新幹線オプション券」購入しないといけない。「新幹線オプション券」買うなら、青森⇔函館間、民間のフェリー(の二等船室)を利用した方が便利でしょうね。
そういう人多くなりましたね。新幹線はバカ高だから、青森へ行くくらいなら船で十分、という人。私も修学旅行は連絡船の世代でしたから。ちなみに今の国立競技場のこけら落としに函館から行った時、函館から青森までフェリーを使い、その先は高速バスを使いました。
急行は、八甲田、十和田、津軽の3系統がありましたね。寝台特急が、ゆうづる、はくつる、あけぼの、全部乗りました。
ありがとうございます。いつもワイド周遊券を使っていたので料金不要の急行ばかり乗っていました。食堂車で食事がしたかったので特急鳥海には行きと帰りに乗ったことがあります。
連絡船出航の動画は幾つもありますけど、おっしゃるとおり、2:47銅鑼の音を聴くには見た中では一番良い動画に感じました。儀式的で厳かであり悲しげでもある。もうこんな時間は来ないのだと思うとちょっと泣けちゃいます。一般車両航送甲板が開放されてますね。自家用車がここにあったのは覚えてないのですが、バイクが一台だけポツンとあったのを記憶してます。それを見てやっぱバイクで来てここに載せようと思ったのですが、マイバイクの航送は夢に終わりました。グリーン船室は指定ですか?自由と指定は座席にも差があったらしいですね。
ありがとうございます。この時の大雪丸には自家用車が積まれていませんでしたが、前にアップしたこの前年の白糠線への旅にアップした大雪丸のマリンガールさんの写真にはバックに自家用車が並んでいます。グリーン船室はどっちだったかな?チケットを探せば判るのですが。ネットで調べると指定席は1人掛けだった様です。バイク航送ですが、青函トンネル開通後モトトレインで北海道に行きたくてチャレンジしましたが積載台数が少ない為か全然切符が取れませんでした。上野駅のホームをバイクを押してモトトレイン(急行八甲田)に向かう人を羨ましく見ていました。(大型バイクは駅員さんが後ろから押してあげていることもありましたね。)
青函連絡線動画を見て回りましたが、出航銅鑼から蛍の光までノーカットで聴けるのは、azaz31415さんこの動画くらいかなと思ったら、さすがTenpoku2000さんの動画は銅鑼を叩く船員さんがしっかり映ってました。マリンガールさん見返しました😻満車でしたね。モトトレインもちろん乗ろうとしたのですが、いつ旅立ちが出来るか不確かだったので、結局フェリー東京から1回の他は大洗か新潟まで神奈川県から自走になってしまいました。
@@3poko 東京発は釧路行きでしょうか?1度だけ帰りに乗りましたがその数年後廃止になってしまい残念でした。びっくりしたのが船会社が気をきかせたのかどうか解りませんが釧路便ブルーゼファーの2等ツーリストルームは7人部屋なのですがその部屋は私ら2人と20代と思われる女子ライダー2人になっていてえらい気まずい思いをしました。北海道のどこを回ってきたとか少し話した程度で後は会話無しでした。北海道ツーリングは当初は会社の同僚と二人で行っていたのですが室蘭便に乗った時、同じ会社で室蘭の実家に帰省する2家族とばったり遭遇。朝までロビーで宴会になりました。室蘭着は夕方だったので余裕でした。その日は虎杖浜温泉ホテルほくよう(ツーリングマップルに載ってたので)に泊まりましたが露天風呂が最高で露天風呂から室蘭本線が見えて北斗星やカシオペアを見ながら入浴しました。ながながとすみません。
日本沿海フェリー苫小牧便でした。近海郵船釧路便は北海道で知り合って仲良くなり友人と言えるまでになったライダーから釧路便良いから乗れよと言われたんですけど結局乗らずじまいでした。今なら男女別でしょうけど当時はライダーなら一緒というくくりだったのでしょうね。旅先で出会った女子ライダーや鉄旅子さんとの関係はなかなか難しいですね。でも自分みたいな女性にモテない積極性もないやつでも、集団でなく2人で1日一緒に走ってもらった人がお二方も居ましたから分からないものです。1日限りでその後どうなったということはないんですけど😹 鉄だと難しいですけどライダーならライハやキャンプ場やユースで仲良くなり一緒に行動してその後お付き合いみたいなの見たり聞いたりでした。当時の北海道ならざらだったと思います。さて2000年の帰りは室蘭発直江津行東日本フェリーでした。虎杖浜にはホテルじゃなくてライダーハウスがあるというので探したんですが、見つけられず。ぷらっとは入れそうな湯もなかったのでお湯にも浸からず、その日は何処へ行ったのだろう? こちらも無駄に長くなる思い出話いつもすみません。
♪ぬ~す~んだばいく~では~し~りだ~す~😋
この時点では東北・上越新幹線が上野発着になったばかりの頃です。
久々に三平汁飲みたくなった売店前付近で販売してたな300円位だったかな
出港までの音懐かしく聞かせていただきました。銅鑼の音こんなにたくさん鳴っていましたかね?
ありがとうございます。連絡船は何度も乗りましたが確かに銅鑼の音はたくさんは聞かなかったような気がしますね。(普段はシャワーへ直行していたのであまり聞かなかったのかも?)
記憶では、この当時は録音の銅鑼かと。だから、出港定時に鳴り出したけど、乗船遅れ待ちで止まってます。
国鉄が懐かしの響がしました。映像の3年前を思い出します。
ありがとうございます。3年前ですと1982年ですね。1983年に8mmフィルムカメラで撮影した映像をアップしています。
私も同年同月に「八甲田」→大雪丸乗った!同じ日?😜
ありがとうございます。八甲田乗車が7月30日ですね。
@@azaz31415 私は20日でした😉
4:52 売店かレストランのお姉さん待ち?
ありがとうございます。言われてみるとそんな感じもしますね。
グリーン船室の指定席に座ったことがあります。寝台を奢らずとも寝ていけたのを思い出します。指定席は大変広い1人掛け座席で鉄道のグリーン車との格差がスゴいというか、今ならグランクラス相当でしょうか。自由席のほうは鉄道のグリーン車に近い仕様ですね。
ありがとうございます。4時間でしたからね。私も寝台は利用したことは無いです。連絡船のグリーン料金は列車に比べて安くて良かったですね。
@@azaz31415 ↑青函連絡船🚢はサロン海峡以外制覇したオッサン😉
1度、利用してみたかったなァ……残念ながら間に合わなかったです。(>ω
ありがとうございます。1隻くらい観光用に残して欲しかったですね。
@@azaz31415 船🚢の寿命はだいたい20年みたいだから厳しいね😵
昭和60年の同時期にワイド周遊券使って九州から北海道に行きました。この時代は青春18きっぷでも乗船できましたね。せっかくですのでグリーン席を使いました。高校生の分際で贅沢をしてました。親父がポンと5万円の餞別をくれて当初の計画よりラクな旅ができました。写真は撮ってましたが、実家が地震被災でネガが散逸しました。懐かしい風景が動画で見れて感謝です。
ありがとうございます。高校生だった昭和53年に九州ワイド周遊券で九州に行きました。東海道、山陽本線には急行が走っていないので東京から大垣行き夜行でスタートし新快速と鈍行で門司港まで行き、あとは夜行の日南、かいもん、ながさきを使って九州を廻りました。行きは節約したので帰りはブルートレインで帰ってきました。
当時は、青森〜函館が約4時間。今は、東京〜新函館北斗が約4時間。隔世の感ありですね。海峡ラーメンと、紅鮭弁当が食べたい!
ありがとうございます。海峡ラーメン美味しかったですね。海峡ラーメンを食べるとこれから北海道へ行くぞ感がMAXになりテンションあがりました。
私もこの年の8月に函館から大雪丸に乗船しました。祖父と一緒に旭川~札幌までライラック、函館までは臨時急行すずらん、夜景を観るため駅前旅館に宿泊して翌日乗船、青森から臨時急行八甲田で上野にと初めての長旅が甦りました。
ありがとうございます。私とピッタリ逆コースですね。(八甲田、連絡船、すずらん)長時間でしたけど楽しくて全然飽きませんでした。
この窓際にあるプラ容器のお茶懐かしいなあ
ありがとうございます。昔は列車に乗ったらこのお茶と冷凍みかんでしたよね。
当時仕事で毎月のように連絡船に乗ってました。懐かしい思い出です。
当時はなんの変哲もなく当たり前の景色でしたが今となっては懐かしい
光景ですね。日常のひとときを記録に残すって大切ですね。
ありがとうございます。連絡船待合室など独特な雰囲気がありましたね。待合室も撮っておけばよかったなと思います。
@@azaz31415 そういえばその待合室に座っていた老婆が連絡船だと勘違いしており、何時に函館かと聞かれたというネタをどこかで見たような…。
@@秋津のOB 連絡船の待合室は独特な雰囲気がありましたね。道内の夜行列車に備えて売店で空気まくらを度々買いました。
素晴らしい動画をお見せいただきありがとうございます。感謝申し上げます。
どうもありがとうございます。北海道へ行きの青函連絡船はとてもワクワクして楽しかったですが帰りは落ち込み感があり楽しくなかったですね。
@@azaz31415 様 返信していただきありがとうございます。とても嬉しいです。実は私の父が国鉄四国総局の職員だったのですが、宇高連絡船(香川県の高松市と岡山県の宇野市を結ぶ)の航海士をしていました。所要時間は1時間と青函連絡船の所要時間の4分の1ぐらいです。現在は瀬戸大橋が出来て、瀬戸大橋線という鉄道が香川と岡山を結んでいます。(強風が吹けばすぐに止まるのが難点なのですが)連絡船で移動するというのは、風情があってよかったと思っているところです。ありがとうございました。
貴重な映像です!
当時は7歳でした、地元の昔の映像を綺麗に見られて嬉しいです。 親戚を見送った後、親父と駅ホームの立ち食い蕎麦屋で食べたのが懐かしい。
ありがとうございます。ホームの立ち食い蕎麦屋も少なくなり寂しいです。昔は車内持込み容器とかありましたね。
未だに青森駅の5・6番線ホームには「連絡船」の案内がうっすらと残ってます
今52歳ですが、この動画の当時は高校生でした。駅に直結したフェリー、1度でもいいから乗ってみたかったです~。
保存されている連絡船が駅から直結した状態で保存して欲しかったですんね。
この年は、8月に大雪丸に乗船しました。学生の夏休み期間=お盆時期の積み残しが怖く、高校生ながらグリーン指定の座席を利用してました。グリーン座敷もあったようですが、座席のリクライニングが快適でした。シャワールームもグリーン客専用があり、こちらはきれいでした。
幼い頃何度か乗船しました。季節がずれるけど石川さゆりさんのあの名曲が思い浮かびます。
ありがとうございます。いいですよね。♪上野発の夜行列車。夜行列車も連絡船も無くなって寂しいですね。
自分が大人になった頃には既に青函連絡船は無く、それでも当時の雰囲気を少しでも味わいたいと思い、わざわざ夜行バスと津軽海峡フェリーを使って、来道しました。いつの時代でも、船旅は旅情を誘いますね。
ありがとうございます。船で渡道するとわくわくしますね。但し、帰りがとても悲しかったです。
急行八甲田、大雪丸。何もかも懐かしい… 貴重な映像をありがとうこざいました。因みに冒頭のポリ容器のお茶ですが、現在も伊東駅では現役です。名物ぐり茶を購入できます。駅ではないですが京都鉄道博物館でも販売していますね。
@@LatimeriaDec ありがとうございます。国鉄時代、お茶と冷凍みかんは必須アイテムでした。
@@azaz31415 さま
昭和は遠くになりましたね… しかしながら熱海駅ではまだ冷凍みかんは販売されています。伊東線に乗ればお茶もみかんも令和の時代でも楽しめますよ。
85年当時、もう貨物専用船は空知丸を残すだけでしたね。僚船の石狩丸・桧山丸は普通船室のみの客貨船に改造され、100番台の便名で就航していたと記憶しています。
私もこの翌月摩周丸で初めて函館に渡りましたが、船内のテレビで日航機事故の生存者救出のニュースを見ていました。その翌日、甲子園ではPL学園が東海大山形を相手に29対7という一方的な試合を展開し、仕舞いには投手でない清原までマウンドに立たせたことで物議を醸しました。そんな時代でした。
ありがとうございます。客貨改造船に乗ると設備が少なく寂しかったですね。
私も修学旅行で摩周丸に乗った記憶が甦りました。本当は小学六年生のときも行くはずでした。その時3日はしかにかかった事が思い出しました。
ありがとうございます。青函連絡船に乗るとこれから北海道へ行くんだというわくわく感でいっぱいでした。
プラ容器のお茶!懐かしいです。お茶の香りより、プラスチックの匂いしてましたね😂
当時はあまり気にせず飲んでいましたが現在だと指摘されそうですね。
青森から函館に帰る時に乗った船は、いつも決まって大雪丸だった思い出があります。
排気マストの先が黒いので、貨物船は空知丸なのは間違いないです。
ありがとうございます。自分も大雪丸が一番多かった様な気がします。
確か夏場で波が穏やかな日だと、下北半島の仏ヶ浦を見えるよう、航路を半島寄りに変更していたようですね。
それと檜山丸空知丸は元々貨物専用船でしたが、大雪丸が使用年限切れで廃船になり船舶が不足しましたが、
青函トンネル開通が見えてたので新造せず、この2槽は客貨船に改造されて運用されてました。
但し普通席のみでグリーン、食堂は無くただ客を運ぶだけのようでした。
ありがとうございます。深夜便に乗ると改造船に当たることが多かった気がします。船内は寂しかったですね。
空知丸は終航するまで貨物船でしたよ
改造貨客船だったのは石狩丸と檜山丸です
@@kenta-z3e ありがとうございます。
昔からよく車内放送なんかを録りまくっていて、当時の出港シーンの音声だけは残していますが、映像を保存されているのは羨ましいです。
急行八甲田→青函連絡船、北海道ワイド周遊券利用者の鉄板ですね。
西日本在住の私は、よく特急白鳥→青函連絡船1便のようなパターンで津軽海峡を定宿にしていました。
ありがとうございます。白鳥は羨ましいですね。こちらは似たようなパターンでは上野から上越線経由の特急鳥海を利用しました。食堂車での昼食が楽しみでした。
北海道へ行く時周遊券で何回も乗船したから3時間50分が懐かしいよ
ありがとうございます。北海道ワイドと3時間50分いいですね。シャワーに並ぶのも恒例でした。
青森県津軽地方の小学校の修学旅行は大体は函館だったので、青函連絡船は、青森⇔函館の移動手段でしたね。1987年度時点で小学6年生(2022年12月31日時点で47歳)だった人までは、修学旅行で青函連絡船に乗った事があります。
私はこの翌年、高校を卒業した年に初めて北海道へ行った際に初めて青函航路に乗りました。
ただ大阪からの白鳥だったので景色は真っ暗で正直覚えていませんけど。
ありがとうございます。大阪から白鳥で北海道入りって羨ましいですね。東京に住んでいる私にとって大阪~北海道はとても魅力でトワイライトエクスプレス廃止1ヶ月前に初めて大阪から札幌まで乗車して感動しました。(いつもは直江津~札幌でしたので)
船内自動販売機のファンタは太缶でした。青森は細い缶しか売っていなかったので太缶ファンタ見ると、既に北海道に来た気分になってました。
ありがとうございます。そうでしたね。自分も珍しいので空缶を持ち帰った思い出があります。
今は本州も太缶っすね😉
その頃は何故か北海道コカコーラボトリングが製造していたのは本州とは違い太缶でした。
道民が本州で細缶のコーラを見ると旅行している実感がありました。
懐かしい映像をありがとうございます。
1985年、日航機事故や猛虎フィバーの年でしたね、私は高校2年生でした。
青森駅のホームを歩く人々の姿も、今だったらキャリーバックをひき、歩きスマホに夢中でしょうか。
携帯、ネット、スマホの無い時代で今思うとよく情報を入手していたなと思います。
現在、携帯、スマホ不可だったら動けないですね。
この青森桟橋迄が北海道側の青函船舶鉄道管理局の所管で、本州側の盛岡鉄道管理局との境界となっていました。青森桟橋長は青函連絡船の船長の指定ポスト。貨車の積み込みや航迭設備、港の管理は青森船舶施設区(青函局)が担当。連絡船は本社所属(後に青函局海務部所属)で、乗組員は函館船員区の所属でした。四国総局の宇高連絡船へ異動になる船員もいました。
※×航迭→○航送
懐かしい~ですね✨自分も上野から夜行急行八甲田を利用して青函連絡船に良く乗り継いでました。
北海道へ渡るのなら🚢でと思い去年10月~11月に掛けて久々に第二の故郷になった北海道へ往復🚢で渡りました。
乗船している時に青函連絡船の記憶が甦って船室から波間をジーっと見つめてました。
もう一度🚢青函連絡船に乗りたかったですね✨
ありがとうございます。北海道に行く時に青函連絡船に乗るといよいよ北海道に入るんだなぁとわくわくしましたが、帰りに函館から乗ると楽しかった北海道とお別れ感が強まり寂しく感じました。
私は「ゆうずる」に乗り青森から「大雪丸」にのり初めては北海道に渡りました。当時ビデオは高価で8ミリムービーで撮りました。懐かしい映像ありがとうございました。
ありがとうございます。寝台特急ゆうづる羨ましいですね。私はワイド周遊券のみで乗れる夜行急行の自由席ばかりでした。
@@azaz31415 急行の自由席だと連絡船まで遠かったですね。
やっと乗船した出来た時には座席は何時も無かった。深夜便は特にね。
自分は関西なんで急行『きたぐに』か急行『しらゆき』の自由席でした。
働きだしてやっと『日本海』でした。
@@sawaaicb 青森発着のしらゆき、きたぐに懐かしいですね。
しらゆきは金沢ー青森の長距離日本一のDC急行でしたね。
母の実家が三条で信越本線の線路際なので帰省した時は東京では見られない列車を一日中眺めていました。
@@azaz31415 北海道周遊券の日数を稼ぐ為に京都駅で急行『立山3号』0時02分発
金沢で5時間時間を潰して急行『しらゆき』の乗ってました。
車内はガラガラで独占状態でしたけど、車内販売のおねいさんと目を合わせるのが
辛かったです。
自分語りばかりしてすみません。懐かしさの余り、つい話したくなってしまうもので・・・。
@@sawaaicb 全然です。楽しいお話ありがとうございます。お話を肴に一杯飲めますな。
1度乗って見たかったなあ。
連絡船だと北海道に入るぞ感がすごくありました。
発着岸壁や船型は全く違いますが津軽海峡フェリーまたは青函フェリー利用で、津軽海峡を往く風情を偲ぶのが現実的な手かと思います。
青函トンネル開通後は快速海峡などを使ってましたが北海道新幹線開通で結局船利用に戻りました
ありがとうございます。私も新幹線開通前は在来線で蟹田ー木古内は特急券不要の白鳥を使って青森ー函館を往復しました。本数は激減しましたが奥津軽いまべつー木古内は特急料金不要か新青森ー函館北斗は特定区間として安い特急料金にして欲しかったですね。
北海道新幹線開業で、特に「青春18きっぷ」を利用して、本州⇔北海道間を移動する人には、不便になったでしょうね。まず、津軽線津軽二股駅⇔新幹線奥津軽いまべつ駅の乗り換えが不便の上、新幹線利用時には「新幹線オプション券」購入しないといけない。「新幹線オプション券」買うなら、青森⇔函館間、民間のフェリー(の二等船室)を利用した方が便利でしょうね。
そういう人多くなりましたね。新幹線はバカ高だから、青森へ行くくらいなら船で十分、という人。私も修学旅行は連絡船の世代でしたから。ちなみに今の国立競技場のこけら落としに函館から行った時、函館から青森までフェリーを使い、その先は高速バスを使いました。
急行は、八甲田、十和田、津軽の3系統がありましたね。寝台特急が、ゆうづる、はくつる、あけぼの、全部乗りました。
ありがとうございます。いつもワイド周遊券を使っていたので料金不要の急行ばかり乗っていました。食堂車で食事がしたかったので特急鳥海には行きと帰りに乗ったことがあります。
連絡船出航の動画は幾つもありますけど、おっしゃるとおり、2:47銅鑼の音を聴くには見た中では一番良い動画に感じました。儀式的で厳かであり悲しげでもある。もうこんな時間は来ないのだと思うとちょっと泣けちゃいます。一般車両航送甲板が開放されてますね。自家用車がここにあったのは覚えてないのですが、バイクが一台だけポツンとあったのを記憶してます。それを見てやっぱバイクで来てここに載せようと思ったのですが、マイバイクの航送は夢に終わりました。グリーン船室は指定ですか?自由と指定は座席にも差があったらしいですね。
ありがとうございます。この時の大雪丸には自家用車が積まれていませんでしたが、前にアップしたこの前年の白糠線への旅にアップした大雪丸のマリンガールさんの写真にはバックに自家用車が並んでいます。グリーン船室はどっちだったかな?チケットを探せば判るのですが。ネットで調べると指定席は1人掛けだった様です。バイク航送ですが、青函トンネル開通後モトトレインで北海道に行きたくてチャレンジしましたが積載台数が少ない為か全然切符が取れませんでした。上野駅のホームをバイクを押してモトトレイン(急行八甲田)に向かう人を羨ましく見ていました。(大型バイクは駅員さんが後ろから押してあげていることもありましたね。)
青函連絡線動画を見て回りましたが、
出航銅鑼から蛍の光までノーカットで聴けるのは、azaz31415さんこの動画くらいかなと思ったら、さすがTenpoku2000さんの動画は銅鑼を叩く船員さんがしっかり映ってました。
マリンガールさん見返しました😻満車でしたね。モトトレインもちろん乗ろうとしたのですが、いつ旅立ちが出来るか不確かだったので、結局フェリー東京から1回の他は大洗か新潟まで神奈川県から自走になってしまいました。
@@3poko 東京発は釧路行きでしょうか?1度だけ帰りに乗りましたがその数年後廃止になってしまい残念でした。びっくりしたのが船会社が気をきかせたのかどうか解りませんが釧路便ブルーゼファーの2等ツーリストルームは7人部屋なのですがその部屋は私ら2人と20代と思われる女子ライダー2人になっていてえらい気まずい思いをしました。北海道のどこを回ってきたとか少し話した程度で後は会話無しでした。
北海道ツーリングは当初は会社の同僚と二人で行っていたのですが室蘭便に乗った時、同じ会社で室蘭の実家に帰省する2家族とばったり遭遇。朝までロビーで宴会になりました。室蘭着は夕方だったので余裕でした。その日は虎杖浜温泉ホテルほくよう(ツーリングマップルに載ってたので)に泊まりましたが露天風呂が最高で露天風呂から室蘭本線が見えて北斗星やカシオペアを見ながら入浴しました。
ながながとすみません。
日本沿海フェリー苫小牧便でした。
近海郵船釧路便は北海道で知り合って仲良くなり友人と言えるまでになったライダーから釧路便良いから乗れよと言われたんですけど結局乗らずじまいでした。今なら男女別でしょうけど当時はライダーなら一緒というくくりだったのでしょうね。旅先で出会った女子ライダーや鉄旅子さんとの関係はなかなか難しいですね。でも自分みたいな女性にモテない積極性もないやつでも、集団でなく2人で1日一緒に走ってもらった人がお二方も居ましたから分からないものです。1日限りでその後どうなったということはないんですけど😹 鉄だと難しいですけどライダーならライハやキャンプ場やユースで仲良くなり一緒に行動してその後お付き合いみたいなの見たり聞いたりでした。当時の北海道ならざらだったと思います。さて2000年の帰りは室蘭発直江津行東日本フェリーでした。虎杖浜にはホテルじゃなくてライダーハウスがあるというので探したんですが、見つけられず。ぷらっとは入れそうな湯もなかったのでお湯にも浸からず、その日は何処へ行ったのだろう? こちらも無駄に長くなる思い出話いつもすみません。
♪ぬ~す~んだばいく~では~し~りだ~す~😋
この時点では東北・上越新幹線が上野発着になったばかりの頃です。
久々に
三平汁飲みたくなった
売店前付近で販売してたな
300円位だったかな
出港までの音懐かしく聞かせていただきました。
銅鑼の音こんなにたくさん鳴っていましたかね?
ありがとうございます。連絡船は何度も乗りましたが確かに銅鑼の音はたくさんは聞かなかったような気がしますね。(普段はシャワーへ直行していたのであまり聞かなかったのかも?)
記憶では、この当時は録音の銅鑼かと。だから、出港定時に鳴り出したけど、乗船遅れ待ちで止まってます。
国鉄が懐かしの響がしました。
映像の3年前を思い出します。
ありがとうございます。3年前ですと1982年ですね。1983年に8mmフィルムカメラで撮影した映像をアップしています。
私も同年同月に「八甲田」→大雪丸乗った!同じ日?😜
ありがとうございます。八甲田乗車が7月30日ですね。
@@azaz31415 私は20日でした😉
4:52 売店かレストランのお姉さん待ち?
ありがとうございます。言われてみるとそんな感じもしますね。
グリーン船室の指定席に座ったことがあります。
寝台を奢らずとも寝ていけたのを思い出します。
指定席は大変広い1人掛け座席で鉄道のグリーン車との格差がスゴいというか、
今ならグランクラス相当でしょうか。
自由席のほうは鉄道のグリーン車に近い仕様ですね。
ありがとうございます。4時間でしたからね。私も寝台は利用したことは無いです。連絡船のグリーン料金は列車に比べて安くて良かったですね。
@@azaz31415 ↑青函連絡船🚢はサロン海峡以外制覇したオッサン😉
1度、利用してみたかったなァ……残念ながら間に合わなかったです。(>ω
ありがとうございます。1隻くらい観光用に残して欲しかったですね。
@@azaz31415 船🚢の寿命はだいたい20年みたいだから厳しいね😵